チケットにまつわる悲喜こもごも
ジャニーズというのは1年中なにかしら舞台やコンサートが行われている気がする。
自分がファンじゃないユニットやジャニタレの現場には疎いのだが、Twitterなんかをみていると常にチケツイが回ってきたりして「あ、◯◯くん今舞台やってるんだ」「◯◯はドームツアー中なのね」などと知り得ることができる。
そして、そのチケツイにも色んなものがある。
Twitterで堂々と定価以上の取引をしようとするものだったり、そことそこの交換無理じゃない?!?!って思うような交換を求めるものだったり。
交渉に自担の特徴なんかを織り交ぜてリプして面白おかしく話したり。
ここ最近ではお米がついてきたり、讃岐うどんがついてきたり、鰹の塩たたきがついてきたり。
本当に世の中には色んなジャニヲタがいるものだなあと思う。
そして、そんな色んな内容のものでも条件さえ合えば交渉が成立し、納得のいくチケットが手に入るのだ。
長期の舞台や公演数の多いコンサートなどはそのチケツイが回ってくる期間が長きにわたることもある。
何件も何件も回ってくるツイートの中で「この人とこの人条件合ってるのに…!!」って部外者のわたしがやきもきすることなんかもある。
それなのに不思議なもので自分が探してる条件のものにいつまで経っても出会えないことがしばしばある。
無茶な交換を探しているわけでもないし、激戦すぎる公演(たとえば初日や千秋楽など)を求めているわけでもないのに。
昼夜を問わず、血眼になって条件に合うものを探すのはさながらブローカーのようだなあと思う。
舞台やコンサートのチケットが届くと、少なからず落ち込んだり喜んだり、様々な感情が生まれる。
自担が出てさえいれば、自担が見えさえすれば、それで十分だと思っていてもやはり前列がくれば嬉しいし、後列だと少なからずショックを受ける。
あと、友達にいい席がきていたら羨ましいし、何回も入れる友達のことも羨ましい。
しがない地方ヲタクのわたしは自担が出るような舞台やコンサートの地元開催などほぼないに等しいのでそんなことだけでも妬んでしまう節がある。
勝手に妬んでいるだけだし、だったら東京出て来いって話なのはわかってるのであまり公言はしないけれど。
チケットのことで友情が崩れるという話もよく聞く。
わたしは基本的にかけてもらった恩は返したいと思っているし返すけれど、与えたものに対しての見返りは求めないように心がけている。求めても虚しいだけだから。
金は天下の回りものというように、チケットはヲタク界の回りものだとは思っている。
きっといつか自分に返ってくるものだと思って、あまり欲をかくのはやめようとは思っている。いい意味での因果応報的な。
なので、名義の管理やチケットに関して明らかに価値観が違う友達とは一緒に申し込みをしたりはしない。
わたしは、基本的にはチケットはお金を出した人のものというスタンスである。
そしてそこに誰の名義かが付加されるわけであるが、自分が貸した名義であろうとお金を出していなければわたしはそのチケットを自由に動かす権利など絶対にない。
お金を出していなければ、すべての決定権はお金を出した人…つまり一緒に申し込みをした友達の意向に沿うと決めている。
そして、このスタンスは逆の立場になっても変わらない。
以前、チケットに関して価値観が違う友達とモメて以来、わたしのスタンスをわかってくれている友達としか申し込みをしないので、最近はチケットのことで友情が崩れたことはない。
しかしながら、毎回毎回思うようにチケットが取れるわけでもなく、お金も人脈もないわたしはジレンマに苦しみながらチケット業務をすることがしばしばある。
どうしても手に入れたい公演のチケットが、友達の手元にあることを知ればやるせない気持ちになる。
自分が行けないのに、なぜ?!?!なとど不毛なことを考えては自分で自分の首を絞めている。
かと言って、それを譲ってくれなどとは言えないし結局は自分でどうにかするしかない。そしてまた自己嫌悪に陥るのだ。
こんなことを繰り返しながら、きたる自担の晴れ舞台に想いを馳せる。
ジャニヲタとはなかなかに健気ではないか。