担降りと担当という存在
ジャニヲタ界では【担当制度】というのが存在している。しかしながら、この"担当"の定義は人それぞれな気がする。
だからこそ、同担でもそこにズレが生じることがある。そもそも、担降りの段階から色々なパターンがあるためズレが生じるのは必然なのかも知れないとも思う。
わたしが現在の担当に降りたのは、いわゆる"じわじわタイプ"である。
一目惚れでもなく、なんなら最初は「なんだこいつ?」くらいの感じで見ていたような…そして降りた明確な原因も見当たらない。
入所当時から存在は知っていたし、その後足を運んだ舞台やコンサートにも数多く出演していたため存在はもちろん知っていた。
同じラインで活動している別の子を好んで見ていた時期があったのでよく目にする存在ではあったのだが、担当になるなんてその時のわたしは微塵も思っていなかった。
その当時はその時の自担に必死だったが、わたしは色んなコンサートや舞台に行っていた。
なので、いわゆる今話題の「浮気」を常に色んなところでしていたのかも知れない。もちろんその自覚はまったくなかったが。
自担が出ていないものでも好きな演目の舞台は結構な回数観に行っていたし、出演している中でその舞台中注目して観ようと思う対象を見つけて楽しんでいたりした。
そこで現在の自担に心が傾くなんてその時のわたしは気づいてなかった。
そもそも、現在の自担のことは前述したように入所した当初「なんだこいつ?」くらいに思っていたのに、なぜ目を奪われたのかそこは今でもわからない。
でも、ある年のある舞台のダンスと演技がわたしの心の隙間に入り込んできたのだ。
"え?あのかっこいい人だれ??"
双眼鏡を覗くとそこにいたのは現在の自担だ。信じられなかった。あの子のことをかっこいいと思うだなんて!!!!と驚愕した。
しかし、今から思えばその時にもうすでに降りかかっていたのかも知れないが、そんなもの認めるわけもなく。気の迷いだと思っていたし、単純に当時の自担が舞台上にいなかったからだと思っていた。
結局そのいわゆる「浮気スタンス」を変えることなくヲタ活をしていたら、いつの間にか現在の自担を観に行こうと思う気持ちが強くなっていったのだと思う。
そしてそのまま"じわじわ"と現在の自担を【担当】と呼ぶに至るわけである。
そんなゆるすぎる時の流れで担降りしたので「今日で◯◯くん担当1年です♡」みたいな事を言うこともできない。まあそれは別にいいんだけど。
わたしの中での【担当】の定義は『一番見に行きたい人』という至極簡単なものである。
ポイントは『見に行きたい』というところだ。
テレビで見れるのも雑誌で見れるのも嬉しいが、生で見たいという欲求が抑えきれない存在こそ【担当】なのだ。
しかし、担当の存在というのは本当に不思議なものだと思う。数多いるJr.の中で、担当というのはわたしにとって唯一無二であり、誰も代わりにはなり得ない。
現在の自担に降りてからというもの、いわゆる「浮気スタンス」がじわじわと変わっていった。
自担が出ていない舞台やコンサートに行く回数がじわじわと減り、逆に自担が出ている舞台やコンサートに行く回数がじわじわと増えた。
以前は自担が出ていなくても好きな演目の舞台を観に行っていたのに行かなくなり、たくさんいた『推し』もチケット代を払ってまで見たいと思う『推し』はいなくなった。そして、好きな演目の舞台なのに自担が出ていなかったらとても色褪せて見えるようになっていた。
"これが担当の存在というものか"
と、今更ながら実感することになった。
そう思うと、現在は担当だけがわたしの気持ちを動かし、ヲタ活に彩りを加えてくれる存在なのだと。
勝手にこちら側から依存している感満載だが、それがわたしにとって【担当】のすべてだと思う。
いつまでも見に行きたいと思わせてくれる存在である以上、現在の自担から降りることはないのだろうなとしみじみと思う今日この頃である。
現在の担当にいつまでも振り回され隊(カスヲタ)ですどうも。