人なんてそうそう変われるものじゃない

しがないジャニーズJr.ファンの独り言

ヲタク心はつるべ落とし

ヲタク心と秋の空。

最近のわたしはまさにこんな感じである。先日のエントリに書いたように自担が主演舞台を終え現場が一旦落ち着いたのであるが、それと同時に心に隙間ができていて余計なことを色々と考えてしまう。

以前、自担や自ユニのデビューに対して執着はなく一生バック仕事でもいいと言っていたのだが自担がメインの舞台がとても充実したいいものであったので、メインの舞台って素晴らしいなあと心が満たされていた。

観に行けるだけ観に行こうと思えた舞台だったし、自分にできるだけのことはしたので本当に充実した1ヶ月であったことも間違いではない。

しかしながら、ふと『この秋、自分が見たかった自担の姿』はそれだったのかと思い始めた。

メインの舞台、一列目で生き生きとしている姿は素晴らしいものだった。しかし、わたしが見たかったのは一心不乱に踊ったり、いかに存在をアピールするかと息巻いている姿だったのではないかと。

今回のことに限って言えば、少年たちでは役もあって歌って踊って至れり尽くせりのように思う。ドリボは役こそあっただろうけど2列目以降にしかいられない。

それでも、わたしはドリボで使われている楽曲でヘッドセットマイクもない状態で一心不乱に踊る自担を見たかったという気持ちがどこかにあることに気づいた。

わたしの周りはドリボを好きじゃない人が多い。それは個人の充実だし非難する気にはならないが、わたしはドリボという舞台が元々好きなのも相俟ってドリボのあれを踊る姿が見たかった…少年たちでは見れなかったものがドリボでは見れたはず…などと思ってしまうことがあるのだ。

不毛だと思う。実に不毛だ。

今更そんなことを考えても時間は戻らないし、充実していた1ヶ月を否定するようなことを考えるなんて意味のないことだ。

でも、そうなるとまた余計なことを考えてしまう。

一旦メインの舞台をやってしまうとバックに戻るのが難しいのではないか、とか、これからバック仕事を見る機会が激減するのではないか、とか。

メインで仕事をする機会が増えるのはきっと本人たちにとっていいことだし、喜ばしいことであるはずなのに、それをファンであるわたしは素直に喜べないのである。

自分が見たいものと、現実のギャップに苦しむことになるなんて思わなかった。こんなことでいいのだろうかと思いつつ、また秋の夜長に思いを巡らせる。

満たされていた気持ちが一気に谷底に落ちる、そう、秋の日は釣瓶落としと言われるように。